宍道湖のそばの来待の町から南へ来待川をたどると和名佐という集落にでる。ここにある神社が和奈佐神社で、ふるくはアワキヘワナサ神社であったのだそうだ。アワキヘは阿波の国から経へここへ、という。
頓原の旧45号線に安波岐・アワキという集落があった。ここに古代阿波の国から来た人たちのナゴリのように思ってしまった。ここは神戸川の源流で流れの両脇そこかしこに古代の製鉄の遺跡がみつかっている。
再度この和奈佐の神社へ上がったのは、地図で神社そばから来待川でなく玉造温泉に流れる玉湯川も湧き出ているようにみえた。玉造温泉からさかのぼってみたくなった。
それの動機は、川の名にある。
五十瓊敷命・イニシキノミコトという神様が千本の刀を和歌山の川上の河上の宮・鳥取でつくったという記述が日本書紀にある。この河上の宮に祭られている神様は天斎河板挙・アメノユカワダナという。このアメノユカワダナは天皇のムスコのホムツワケがひげがはえるようになっても、モノがいえないのが、白い鳥に反応してすこし音をだした。そこでアメノユカワダナに白い鳥をおいかけさせた。越後や丹波まで追いかけている。そうしてその人々は鳥飼部となっている。
アマニユカワダナのアメは天だから、ユカワダナをさぐった人たちがいる。和歌山の河上の宮の河口に淡輪という地名があって、これは淡は棚でないかと?。斎河・ユカワは古代人々はなにか始めるにあたって、沐浴を潮水でおこなったのだけど、その場所に河が流れ込んでいる場所をその場所としている。そこには木製の木組みが置かれていたのだろう。それを棚といったのだろうと。
千本の刀をつくったイニシキは同時に白い鳥の追求者でもあったことにならないか。出雲神話のスサノオのオロチ退治は鳥上の地でおこなわれている。和歌山の四国側に阿波の国から流浪してきたワサナの神を背負っていた人々となにかつながりがあるようで・・・
玉湯川は棚湯河であって、このワナサの人々が沐浴したのち河をさかのぼり、このワナサの地で製作していたものは・・それはきっと刀であったのでは?
玉造温泉の正面から製鉄の遺跡がみつかっている。
温泉から大谷というひろく明るい谷をつめ尾根の切り開きをこすとそこにワナサ神社があった。