こひちろうの独り言 |
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来待川。源流は和名佐山より出て、西に流れて山田村に至り、更に折れて北に流れ入海に入る。年魚あり。と出雲風土記にある。アユがいたらしい。
風土記にでる山の名がいまの地図にあることはめずらしい。それほど地名というものは変わる物でもあるようだ。川がまがる山田という地名もいまは無くて、菅原という地名に変わっている。 そこは民家もまばらなところだったが、えらく幟がたっていて、週末と祝日が開店の出雲ソバのお店があったりする。そこに天満宮があった。 もちろん菅原道真がまつられている。玉造温泉の端にあった天満宮とはえらい違いに参拝してみた。 菅原道真の祖先は土師氏といって、大阪の河内にいまも土師ノ里というところがある。ここが故郷になっている。この土師氏は名のとうりに土師器をつくることができた人々だったという。古代この人々は古墳のハニワをつくっていたり、その祖先の・野見宿禰ノミノクスネはそのハニワの考案者であったり、相撲をとった最初の人物だとも。ノミとかノウミとかの地名の場所には陶器の材料になる土があるのだそうだ。能美島も関係してるのだろうか? この菅原の天満宮に略歴がかかげてある。その野見宿禰は播磨の国竜野で亡くなったと書記にあるのだけど、宿禰は出雲の人でその墓を出雲墓と呼んだとある。出雲の出身であったようだ。その宿禰の分骨がこの神社に祭られており、菅原道真のお父さんが出雲大社にきたとき、ここにその墓参りにやってきて、この里の乙女をみそめたのだそうだ。乙女は懐妊したのだけどお父さんは都にかえってしまった。生まれた男の子はすばらしく出来がよくて、あるとき都にのぼって父子ご対面があって、その子は成長して道真となのった。で、この菅原が本当の誕生の地になる。とあった。 古代に分骨という習慣があったとはおもえないが、出雲の人々は古代そんな人生にかかわる能力のある人々であったという思いにはなった。この菅原の天満宮は松江のお殿様になった松平藩主からの保護が特別にあったようで、そのころの本殿がいまにのこっている。 古事記より二十年後に書かれた風土記にない事が、いまの出雲では当たり前にあることが多いのだけど、ほほえましいというか、この地の誇りなんだというか、そんな古代の香りを感じさせてくれる。とってもイイ! 天満宮はその土地の境になるところに多いと宮本常一さんはいってる。この菅原が境にした奥に和名佐の人々の土地があって、そのまた山奥に人々がある。古代からある。この境界はどんな区分であったか?も興味がある。田んぼなんて、細い谷あいにあるだけのところだから。
by forumhiroshima
| 2007-11-05 17:47
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