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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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出雲の宝

加茂・神原は出雲風土記で神財・カムタカラを神原・カンバラと呼んだとある場所で、そこにある神原神社の古墳の発掘から鏡が出土していて、これが風土記のいう神宝か!ともいわれている。

この神社正面の赤川の対岸のすぐ奥の山中で銅鐸がたくさん発掘された、加茂岩倉遺跡があるし、その尾根を越えて宍道湖へ下るところに、銅剣と銅鐸が日本最多で発掘された荒神谷遺跡があって、そこは神庭という地名になっている。この遺跡を結ぶ歩道ができていて、ウオーキングイベントの案内が遺跡にはってあったりする。この一帯は出雲の神宝の宝庫って感じがする。

八口神社からでて、赤川と斐伊川の合流する川原にいってみたくなって、赤川河口をさがしてみた。そこに尾留明神とかかれたカンバン。ひろがった田のなかに小山がひろがっていて、そこに上る。表示にそって小山の斜面に民家がつらなって、その間に道がのびあがってゆく。道端の雑木の間から斐伊川のひろい、川底の砂がのびているのが見える。季節を見るような、初冬の日差しがその砂をしろく黒くゆるい陰影をつけている。風が気持ちいい。あたたかい冬って・・。

斐伊川の川原をみくだす丘にその神社があった。留尾明神は御代神社の別名だった。このあたりを三代という。神社の表示に主神から説明があって、その欄外に天叢雲剣・アメノムラクモノケン発祥の地とある。あの三種の神器、天皇家の象徴の剣、ヤマトタケルの草薙剣のことだ。
スサノオがオロチを切ったとき尾で自分の刀が刃こぼれをした。切り裂くとそこに剣があって、スサノオはそれを姉のアマテラスに贈ったという。この剣と鏡と勾玉が神器になる。
その剣の発祥の地とはどういったことか、その剣を作ってそれをオロチにとられたのか、スサノオがその剣を見つけておいて置いたって場所なのか?

まさに出雲の神社は個性豊かだ。

確か源平の合戦の際、この神器は安徳天皇と下関の海に沈んだはず。源頼朝にとどいた報告に神鏡・神璽ハオワストイエドモ、宝剣ハ紛失、愚慮ノオヨブ所、コレヲ探シ求メ奉ル、とあったはず。が、いまは名古屋の熱田神宮に納められている。そこらのことはわからない。

この剣は神宮の御神体であって、見ることあたわず、なのだそうだけど、江戸時代にこの宮の神官が覗いたという。それは三重の箱にその箱の間を粘土でうめてある、その中にしろくあったという。箱は五尺だという。こんな文章を発見してくる学者もおもしろいが、そこから考古学者の森浩一氏は銅剣ではないか?といっている。
森氏は出雲荒神谷遺跡の銅剣について、1991年に発表された東京国立文化財研究所の報告でこの荒神谷の銅剣は谷かその近くで鋳造されている。とあって、出雲での生産、それも荒神谷に近い場所であることをしめしているという。また大きさも荒神谷の銅剣に木の柄をつけると、草薙剣ににてくると。また荒神谷での銅剣の埋葬方法も特殊で草薙剣のありようと関連がありそうだとも。

草薙剣がオロチの尾っぽにあったことも、海に沈んで行方不明になったことも、それが今名古屋の熱田神宮にあることも、そんなことは、たとえ天皇である象徴の三種の神器であっても、その剣はわれ等がここで作ったのだよ!!なんて聞こえてくるようだった。

赤は銅で黒が黒がねの鉄、いまいる場所が赤川の河口で風土記のいう、神宝の場所、です。
出雲の宝_d0089494_15231112.jpg

by forumhiroshima | 2007-12-22 15:25
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