こひちろうの独り言 |
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出雲。比田。ここ黒田に金屋子神社がある。
江戸時代に書かれた「鉄山秘話」に、兵庫県の北部・中国山地に千種という町に岩鍋という地名がある。そこから金屋子の神が白い鳥になって、ここ比田の黒田の山中の桂の木にとまった。神がここの朝日長者に鉄造りを教えた。長者は阿部という人をつかって鉄精錬をはじめた。と記載されている。 先年この千種へ走ってみた。津山から山中をぬけ、広く明るくなった小さな平野が現れると、坂をくだって町へ入った。金屋子の神社をさんざんにさがしてみたが、杉の巨木の森には大山祇の神の神社があるだけ。刀の材料として千種鋼はしられた材料だそうだけど、そんな鍛冶もないようだった。 横田の大呂でも吉田でもタタラの製鉄師・ムラゲたちは真冬におこなわれるタタラ製鉄がうまくゆかないとき、この比田まで裸足で参拝したという。もちろん金屋子神社はかならずタタラ場には勧請されているのだけど。またそこには必ず桂の木がある。 奥出雲と呼ばれるそこかしこに桂の巨木がのこっていて、記念物にしていされたりしている。タタラの名残なのだろう。 千種に金屋子神社がないってことは、この神様を背負って、この比田にやってきた一団があったということに「秘話」はいっているのかもしれない。 神社前にはケラというタタラでできたおおきな鉄の塊がいくつも置いてあった。その説明に神社宮司・阿部とあって、「秘話」が現実になってくる。 比田は西と東とに区分されて東西にながく広がっている。西比田に比太神社が鎮座されていた。ここにはケラは置いてないがすぐそばの神追神社にはおおきなケラが参道にデーンとある。神を背負った人たちでなく、追っかけた人たちってことだろう。 東へ走ってみた。標高400mばかりの土地だが、すっかりガスが降りてきて、湿気の中をすすんでいるような、泳いでいるような走りになった。その分景色が浮き出て、この季節しかない時間をぬけてはしる、幸せな時間をすごせる。 この川沿いの狭い平地を上り詰めると伯太の町へと下ることになる。横田・仁多・比田・伯太と「タ」づくし。南は三沢・三所・三成と「三」づくし。その北西は尾代・佐代・八代と「シロ」づくし。 いえいえ広島県側も三和・比和・口和と「ワ」づくしでまけてません。が、どうして? 登りの分岐にマア・・でっかい神社にぶつかった。縄久利神社とある。近くには廃屋が一軒のみ。いかにも古風デンとしておられる。案内に大山祇神を祭るとあった。もちろんこの神様は瀬戸内海・大三島の神様。 鉄山やタタラに従事した人たちはそこで山仕事がなくなると、移動する。兵庫から出雲への訳はわからないけど、きっと移動があったのだろう。昭和になってタタラの仕事は製鉄所に追いやられ、中国地方の鉄山師たちは、九州の炭鉱へと移動していったという。それが「青春の門」や」花と竜」などに描かれる姿なのかもしれない。 夕張の炭鉱夫たちは。どこへ移動したのだろうか?その落ち着き先に金屋子の神はなくても大山祇の神はおられるだろうか。神を追う人々は、うまく神に出会えただろうか?
by forumhiroshima
| 2008-06-26 20:18
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