JR木次線が芸備線と連絡する備後落合には早朝に到着。
山歩きを高校生のころから始めて、初めての泊り登山はここから歩いて道後山の山の家だった。深まった秋には山小屋では自分たち用にまきストーブがたかれて、なんだか大人になったようなあつかいにうれしかった。翌日に山をおりて備後落合の駅まえの食堂で新聞をみた。「ケネディー暗殺」の記事がでていて、ショックだった。
それから道後山へは車になって、この駅にくることはなっかた。あの食堂がどこだったか?わからない。車道から駅への入り口に古いタバコ屋があって、そこかともおもったけど、食堂らしくはない。
駅舎のすぐ前に廃屋になった美容院と、タクシーの連絡所が崩れ落ちそうにならんでいた。田舎の駅近くや港のフェリー乗り場には散髪屋がけっこうあって、ふるびた町の残ったカンバンなんだけど、ここは酷い。
出雲から到着した列車が三次方面に行くために、機関車を付け替える。その時間に駅ではうどんやお菓子を売っていたと聞いてた。大阪への急行列車だってあった。スキーがブームだったころ、ここから出雲へ上り詰めた三井野原にスキー場ができて、それは大変な人出だった。列車をおりてすぐに滑れる、がキャッチフレーズだったか。
谷間にスジになってさしこむ朝日にだれもいないプラットホーム。路線には雑草も。
木次線を自転車でトレースするって試みにいくつかのパターンを考えてみた。もちろんその中に広島から走って・・ははいってない。
芸備線から備後落合では到着が昼前で遅すぎる。宍道まで高速バスは、自転車載せてくれないことがある。宍道から備後落合への列車は日に二本だけで、それも昼過ぎ。レールと駅舎は昔と変わらなくても、列車がはしらないのだ。
備後落合から三井野原まであがって、また引返して、車で横田へ移動。そこから三井野原へ。折り返して、木次線を宍道までトレースときめた。宍道から4:02発の横田行きで輪行の計画に落ち着いた。三井野原までののぼりで一台も車に追い越されなかった。もちろん自分が速いわけじゃなくて。