仁多の町、警察と「砂の器」の作家・松本清張は現地をすごくよく観察して記述されているとおもう。そのままの景色がいまもあったりする。
亀嵩の部落にはいると、おもったより大きな町並みになっていた。この辺りの家も檜皮ぶきの屋根が多く、なかには北国のように石を置いている家もある。算盤の名産地だと署長が説明したが、事実、町を通っていると、その算盤の部分品を家内工業で造っている家が多かった。「砂の器」
集落をぬけて、砂の器の石碑が正面にある湯野神社は映画では巡礼の親子がその床下でやすんでいることから、保護される。小説にはでてこない。
その先に新しい道の駅と温泉がある。その道の駅にTVのセットだった交番が展示されている。湯野神社は出雲風土記に記載された風土記社だけど、その表示はみていない。ここの神様はオオクニヌシとスクナヒコナ。オロチとイナダヒメとスサノオでない神社はこのあたりでは久しぶりだった。
真冬にぼろぼろの衣服で笠をつけた巡礼の親子と、こもった発音の方言の映画の印象は、なぜか出雲らしい・・というより、この映画がそんなイメージを植えつけたようだ。出雲は冬、変わりやすい天候だけど、高い山もなく、セメントのビルもすくなくて、ひろびろとした空があるようにおもうのだけど。
ただ集落のはずれにおおきな石灯籠とそれを囲む六地蔵がある。そこには、巡礼のにおいがこもっているようで、静かな、家内工業もみられない集落とあわせて、島根半島の浦々で潮をくみ一畑薬師へ巡礼する人々がいたことを思い出した。この国は今もそんな信仰の営みを自然にうけとめる、あたりまえのような場所であることは承知している。
松本清張もきっとここを訪れて、そんな風土を感じたから、「砂の器」で表現したかったのではないだろうか。
集落をあとに引き返して、木次線をまたトレースしはじめた。