こひちろうの独り言 |
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掛合・三刀屋・頓原・吉田は出雲風土記では飯石郡・イイシノコホリに位置している。このイイシの名となったのがイビシツベ命。
イイは米のことでなく、スゴイ!って意味だというから、すごい石っへことか? このイビシツベ命のおられる飯石神社が二つあることは知らなかった。以前六重・ムエって場所で飯石神社が荒廃していて、ショックだったが、しらべるともう一つある。 その神社は出雲・尾道往還とよばれる古道と急流な小川をはさんで杉の木立にあった。入り口も古道からひそやかに分かれる路地がそうで、こんもりと茂る森がそうだとわかっても、ぐるりと新道を回ってしまう、そんな場所だった。 ザワザワとながれる小川・飯石川のそばで鳥居をくぐると、真っ白な広場と川岸の杉の巨木の並木だけ。そのずーっと奥に、本殿、拝殿がすみっこに、それでもりっぱな建築で、出雲大社の山奥の須賀社や神魂社のように、いかにも出雲の屋代だった。人気の神魂神社よりもひなびて、神の降臨される神聖さがあるように、気に入ってしまった。虚飾のない日本建築っておもうほど、白い境内と風雪にさらされた木造と小高い杉と、せせらぐ流れ。 本殿の奥に二重に玉垣でかこまれて、おおきな石が牛のようにうずくまっていた。 飯石川の源流になる菅谷には有名な菅谷たたらとその関連施設・山内・サンナイがいまも保存されている。そこから尾根越えで下ると吉田の町にでる。田部家の本拠。 武士であった田部家は浪人してここにたたら製鉄を始めたとあるが、その施設や従事する人々。また精錬技術は、おいそれと浪人して、なにしようおか?なんて悠長なものとはとても思えない。武士・刀・鍛冶・富とながいながい年月の関係、まして鉄が出るという、場所の情報。いったいどこから伝えられ、そして出雲鉄としてできあがってきたのだろうか? 吉田から県境へとむかう。出雲・尾道往還が頓原から掛合へとはしるラインはR45とは離れてのこっている。その頓原への途中民谷を通過。そこで石神に地図にもない場所で出会った。おおきな石が二つ、すっかり蔦におおわれて、空き地にゴロンの風情。 ここから都加賀へ這い上がる。特別だと感じるほど「アツイ」。このあたりは今松江-尾道高速道路の工事がそこかしこでおこなわれて、古道がりっぱにひろい車道へ。もうずーっと以前からこの高速は計画されていて、これまで高速道路の工事にはいるための道路整備が終わっているようにおもった。ガソリン税でもめても、やめられない計画なんだろう。ながーい方針がデーンとこの国にはあるようにすらおもうほど、民家もすくない谷をこえてひろい車道がつづいていた。 田部家のタタラのように、人々のつながりが、その計画をとめられないのかもしれない。 が、やさしくくねくねと上る古道は残してほしいね。ガソリンなくなって牛や馬に頼ろうにも彼らはトンネルにははいらないでごねるだろうから。 八重滝の有名な古道は、路面に草ものびていて、スリリングな下り。ここに八重神社がある。それを見逃さないように、ずるずるとくだった。ちいさな八重神社の表示をみつけた。が、どこかわからない。ままよ!と山道をのぼる。長い石段がのぼってゆく。と、正面にこちらに落ち込んでくる巨大な岸壁。そこのくぼみに祠があった。 投入堂のようだ。でも?ここは神社。そんなことより、ここにこんな岸壁があるって、どうして知ってたんだろう?それって、砂鉄があるって、タタラはじめた人たちの仲間??
by forumhiroshima
| 2008-07-31 14:36
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