こひちろうの独り言 |
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西城の町から旧道の桜峠を越えると、長い下りが始まる。二重坂と呼ばれる。大きな養鶏場があって、そこへ通う車のせいか、かなり荒れた路面がつづく。下り終えると奥八鳥。そこで国道とJRの路線と交差する。
JR芸備線はここから東城へ南下するまえに、不思議な運動をはじめる。最短距離をとらずにおおきく北上し、小鳥原の保賀谷から南下して三角形を走行する。この間に駅がないのだ。 ヒトトバラと読む小鳥原の入り口におしゃれなアイスクリーム屋さんをみつけた。古道を走るスタイルの弱点は自販機やコンビニや食堂に出会わないこと。やっとエネルギー補給できる。 お店はご婦人がおられて、店の裏の大きな牛舎で飼う牛の牛乳からの手作りのアイスクリームだとおっしゃって、ソフトをわたしてくれた。「うまい!」。それが峠でつかった体力欠乏からか、はわからないが「うまい」 ![]() そういったからか、自転車でどこへ?「ヒトトバラって読むことが不思議でここへ」だいたい読めませんね。「ヒトトバラってどこから?」あの川から北です。昔は八鉾村でした。 国道をのぼった保賀谷は郵便局とそばに数軒の民家。昔はきっとにぎやかだった場所だというにおいはのこってる。鉄道は高い陸橋の上をまわっている。きっと駅もあったのだろう。 ![]() 都会のエネルギーすべてがマキや炭であったころ、食料も農家が供給していたころ、この鉄道はフル活動したのだろう。どちらをみても山また山。いや森また森。これが宝庫だった。 司馬遼太郎が「砂鉄の道」のなかで、朝鮮半島中部の山中で多数の中国人が伐採に従事しているのに出会った朝鮮の旅人が驚いて中国の役人へ報告して、その人々が救出された記事をあげて、この人々は製鉄の炭をつくるためであったろうと書いている。奴可郡の奴(奴隷)という字をだぶって思いだした。この山中でもおなじような景色があったのかもしれない。 小鳥原から小奴可の要害桜そばを登って、気になっていた八幡神社へ走った。そこに川鳥八幡が鎮座している。以前はここらは八幡村と呼ばれていて、地図の神社マークは八幡神社なのか、とおもうぐらい。 ![]() 深い緑の杉の巨木が林立する参道奥に拝殿が鎮座してあった。表示に「創立不明。往古当地が砂鉄の郷である以前から祀られており、1353年に宇佐八幡から分霊を勧請して・・」とあった。 ここまでなんと鳥がつく地名なのかと?。八鳥、小鳥原、鳥越、川鳥とここまで走ってそれだけの地名にであった。 いよいよ古道は西城への峠越えになる。古道と分岐して車道がつくられて、そこに八頭線とあった。八がつく地名も連続する。八鳥、八鉾、八頭。 スサノオの退治したヤマタノオロチは国境を越えて進入してきた人々で、彼らは森をきり、山を切り開き、釜を炊いて森あちこちに赤い目玉を散らばらせるような活動をしていた。その侵入者を退治したのだ。なんて説もあった。説得力を感じてなかったのだけど、この奴可の山中を走ると、ここの人々は、出雲への進出なんて、へともなかったのでは?などと妄想できる。
by forumhiroshima
| 2008-10-12 12:04
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