八のつく地名、鳥のつく地名の交錯のなかで、鳥はもっとも興味深い。
出雲神話のなかで、ホムツワケという皇太子は成長しても物がいえなくかった。有る時白鳥をみてすこし反応した。そこで天皇はその鳥を追いかけらせた。各地を点々とさがし出雲で物がいえたという。このときホムツワケの家来として鳥取部、鳥甘部・トリカイベ、品遅部・ホムジベ、大湯坐・オオユエ、若湯坐・ワカユエを定めたとある。
また風土記ではアジスキタカヒコは髭がのびる年になっても物もいえず、ただ泣くばかりであった。有る時三沢にやってきたとき泣き止んだといっている。これも鳥をおいかけて三沢・ミザワへいった。
古代、水銀からつくられる朱色の顔料は清めからか、古墳の内部で多く使われる。その水銀は液体の状態で発見されていたのだろうといわれる。水銀を熱して朱色を作る際のでる有毒なガスは古代さけることができず、いろいろな障害をもたらしたのでは?と考える先生が多い。
その障害をホムツワケやアジスキタカヒコの神々が浄化すると信じていたのではなか?ともいわている。
西城や小奴可に鎮座するニホツヒメはずばり水銀の神様で、それからでる障害を清める人々が鳥取部そのほかであったのだろうという。
小奴可から北へ峠をこえると、日南川の流域になる。鳥取県にはいる。
東城、西城のどこの谷の各所に祭られる小さな祠は、古びてはいても、どこも今日の朝に供えられた様なサカキの小枝と、真新しい白い御幣があった。なにか清められるようで、帽子をぬがずにはいられなかった。
ここからまっすぐに南下すると、芦品郡へ入る。ここは芦田郡と品治郡が合併して芦品郡となっている。ホムツワケの家来、品遅部の国である。
備後は鳥の国かもしれない。