島根県との県境の王貫峠から南へ下り始めると、三沢の谷スジとであう。東へむかってひらいていて、紅葉のはじまった山が午前の陽光をうけていた。
王貫峠を北へ、仁多のそばに三沢という同じ名の場所があって、どちらもミザワと濁る。
島根の三沢は出雲風土記の神話の舞台。集落中央にその主人のアジスキタカネヒコ命が鎮座しており、沢とはなれた尾根に集落が集まっている。
川筋をここらでは「谷」とよぶし、東日本では「沢」とよぶようで、このあたりに「沢」とつく地名はすくない。同じ発音でもあって、ここにアジスキタカネヒコ命でも鎮座されていれば、古代ロマンじゃないかと、おもっていたりする。
この南の三沢のまだ奥まった谷に地図には記載されていない、奥三沢という地名があることを、宮本常一さんの著述でしった。「広島県比婆郡高野町の奥三沢という鍛冶屋の定住した村をしらべにいったことがあるが、その山中にはいくつものタタラの跡があり、また墓石ものこっているという。しかもタタラのカナクソのその上に二、三百年はたっているだろうと思われる巨木が生えているところもあるというから、そういうタタラは二、三百年前にすでに廃棄せられていたわけである。この部落には部落の中にも大きなカナクソ山があるが、それすら今の村人はいつごろ誰がきて作業したかを知らぬという。一つの部落の歴史が血のつながりによってつづいていくのではなく、断絶をくりかえしつづいていくところにタタラ村の特徴がある」
三沢は数軒と牛舎があった。そこから登ると尾根がせり出して、谷へ押し込められる。と、広い空の明るい空間にでた。正面の丘のトップに一本のスギがそそり。その下に古風な木つくりの鳥居がみえる。このシュチエイションは好きだ。
道路から草刈のすんだアゼを神社へと入ると、だいこんをかかえたおばあさんにであった。社の名を聞く。「金屋子さん」と細い声でこたえられる。すこし間があって「どこからきなさった?」
金屋子さんはタタラ師の神様。その鎮守する尾根が常一さんのいうカナクソ山だろうか。
その奥は行き止まりだけど、ひろい。電柱もそこで終わるところに、大きな民家が数軒。いかにも、日本の景色すぎる。草刈機の音が、こだましてきた。
タタラ師たちがここにくる前、出雲・三沢の人たちがいたとおもえるほど、住みたくなる景色の中にいた。