備後の国をうろうろしている。最初の予定では岡山の倉敷へながれる高梁川流域をまずはうろうろと思っていたのだけど、ニホツヒメ命さま追っかけで西城や高野へ。
初心のもどって、江の川と高梁川の分水嶺、中山峠へはいろうか?と。中山は古代吉備の国の中心の吉備津彦が鎮座します備中中山を連想するが、峠にかかる庄原よりに蘇羅比古神社がその幹約6mという二本のスギを門柱に鎮座いたしている。ソラヒコのソラはいろいろのところで出会う地名で、出雲にも二つならんだ空山がある。
「ソラス」というが、あの流川の飲み屋のお姉さんが使う手で、苦い思いしかない言葉だ。引っかかる未熟者ってことだけだったのだろうが。これは一説に焼畑農業でいったん畑を野に返すことをいう。そうなると畑は草地になって、時代が下って牛の放牧や飼料とりの場所となったのだそうだ。
が、蘇という字が気になる。蘇は古代のチーズで当然牛にかかわる。まだある。スサノオは挑戦半島でソシモリに降臨したという。古事記のソは蘇とは書かれていないけど、そのソシモリはソの村、町ということだともいう。
蘇羅比古神社は7世紀後期にはここにあったと教育委員会の表示した説明文がある。二本の大杉はそのときに移植されたのかも?と説明文が読める。神社横一帯は古墳群の集積地でここがそれだけ神聖な場所であったし、古墳時代に自分が今立ってるってことでもあるのか。出雲風土記より古い。
蘇塗というものが朝鮮半島にはあって、鳥の形のものを竿のてっぺんにつけて立てておく魔よけがいまでもあるのだそうだけど、このでかいスギをそんなおまじないにつかったのかも?神社は国道からすこし登った場所にある。聖地らしい雰囲気もただよって、これから車の多い国道をヨタヨタあがってゆくすこし勇気がでてきた。