こひちろうの独り言 |
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庄原のインターをおりて南下する。東城へ中国道と国道が交差するところから、登り始めた。この谷を登ると天王という集落が地図にあるのだ。
備後・キビノミチノシリの国の風土記にいわく。と8世紀にかかれた「備後風土記」に蘇民将来というものがいて、北の国の神様ムトウの神が南の国に嫁さがしにでかける途中、備後の国で日暮れになったとき、蘇民将来の兄は金持ちであったが泊めなかった。が弟は貧乏ななか粟の食事てもてなした。ムトウの神は嫁をつれて帰る途中にこの国にたちより、兄をほろぼした。弟には、これから、弟の一族に疫病などの災難がふりかかったとき、蘇民将来の子孫といって、また腰に茅の輪をつけておけば、その災難から逃れられるといったという話がある。 その蘇民将来の家は福山の駅家町のスサノオ神社とも鞆のヌマクマ神社ともいわれる。ムトウの神は風土記の中で、自分がスサノオであるともいっている。この神は京都に上り、祇園舎・八坂神社に鎮座することになる。この神社の祭りである祇園祭りでは「蘇民将来」の御札がくばられる。 八坂神社の発祥の地がこの備後の国なのである。夏各地の神社で八の字にくぐる茅の輪くぐりの発祥も備後の国ってことになる。備後には祇園社が百をこえて、あるのだそうだ。この神の子供が八王子で、この神は天にあっては天王、山にあっては山王とよばれる。 先日出雲の山王寺へはしってみた。この麓の須我神社はスサノオが新婚時代にすごしたことになっているが、それは明治以降のことでもとは祇園社であったのでは?といわれる。 出雲から備後へ入る峠に王貫、王居となずけられて、備後の国の入り口に祇園社があった。さて、ここ天王の集落の地図にある神社マークは?? 霧が晴れてきて、紅葉の最後の景色が鮮明になる。農作業の婦人と目があってしまって、つい「私は無実です」とばかりに「神社はどこらですか?」とたずねる。と横の畑から「もう800m」とおじいさんから声がかかった。それほど注目されるえたいのしれない人物として、監視されていたようだ。しかたない、ですよね。自転車であがってくるっておかしい、はず。 ![]() お寺のようなおおきな屋根がみえてきた。それが神社で・不老山神社と神額にある。祇園さんでなくて残念。神社の案内には祭神オオクニヌシとあって、出雲からの勧請が1141年とあった。出雲大社の入り口のおおきな鳥居には、スサノオが祭られているとかかれていた。1666年に建立されたものだ。理屈ではここに勧請されたのはスサノオじゃないか!と、祇園さんでなかった不満をブツブツ。だってここは備後の国でここは天王ですよ、とまたブツブツ。 ![]() 地図ではこの神社からの山越えは破線になっている。が、明治の初めにつくられた五万ではりっぱな往還路だ。ちょうと森の伐採が横でおこなわれていて、道には大木。作業されているかたに通してほしいとお願いしてみた。こころよく作業中止。「また帰ってくるか?」とご質問。「イエ!」と返事してしまった。機嫌よく工事の手やすめてくれたのに、また邪魔するわけいかない。蘇民将来、って叫んで古道へ入った。「しっかりあるじゃん」ただし急坂の落ち葉いっぱいひろがってる。蘇民将来!! ![]()
by forumhiroshima
| 2008-12-04 18:19
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