油木から東の山へ。仙養ケ原の頂と尾根の上にある花済の集落の間の桜が峠そばに、七つの道が交差している場所があった。そこに三連のカーブミラーが鎮座していた。
側に休業しているかとおもえる、静かな縫製工場があるだけ。
平日の昼下がりに通る車はないのは当たり前だけど、朝夕だって、走る車も歩く人もいないだろう。
油木周辺は、尾根の上に小さな固まりになって、集落の名がある。李・スモモとか花済とかロマンチックな名がつづいている。花は、仏教のシキミの木のことだそうで、高野山にある花園は、この木々で埋まっている。道々にある辻堂は、薬師堂と呼ばれているようで、古くからの信仰がただよってきて、田もみあたらない尾根の孤立してあるりっぱな家屋にも、人の長い積み重ねを感じる。
その集落への道はいったん大きく下って、すぐに急坂を登る。すぐ前にみえた家へもゆくにも大変さを自転車は教えてくれる。
このあたりの道を走ると、この先にたしかに人が住んでる痕跡は感じても、はたして、今どうか・など考えるが、これまでゆきあたる集落は、廃屋があるが人里だった。そして、縦横に道がつながっている。
辻堂の代わりになったのだろう三連のカーブミラーが、この家々のつながりを今守っているように思えた。